ラボラボ 発達障害子育ち20年の記録

過ぎてしまえば全てネタ。楽しくラクに暮らすための試行錯誤継続中。三兄弟はそれぞれ特別支援教育を経て元気に毎日働いています。

入学前には学校見学と顔合わせ

長男が年長のときに地域の学校へ見学に行きました。
その地域の小学校には支援学級がなく、当時は支援学級希望者が3名いると支援学級を作りましょうという教育委員会の方針でした。
支援学級を希望していましたが、雨樋スルスル事件があったので、特別支援学校に希望を変えました。
その頃から方向転換あったようで市が特別支援学級にも力を入れだしたとのことで、ひとりでも支援学級ができるようになってひと安心。
うちのせいで支援学級ができない、と言われてたのでよかったです。



次男は就学相談で特別支援学級になりました。
年長時には、先生が熱心な評判の良い支援学級があると聞きつけ、学校公開時に見学に行きました。
当時3年5年の計6名にひとりひとり違う課題を作成されていて、教室の雰囲気も仲良くて保護者同士も仲良く温かい。何より評判通りの先生でした。


越境入学は認められていなかったのですが、どうしてもその先生から学びたかったので、引っ越しをしてまで入学しました。
普通の校区の市立小学校なので永遠ではないのはわかってましたが、
特別支援学級ってこんなに丁寧な指導なんだと、思い描く支援教育の基準となり最初の先生でよかったです。



三男が特別支援学級に入学することとなった時、
ママ友に「入学前に挨拶に行くと入学式のときには意外と落ち着いてるよ。」とのアドバイスを受けました。


三男の入学前には、春休みに事前に学校へ連絡してから、
特別支援学級担任、校長先生、教頭先生にご挨拶に行き、教室見学、トイレの場所を確認に行きました。
支援学級の教室の場所がどこにあるかを確認してね。学校の協力体制がわかるよ。って。
校長室に近い?支援学級だけ離れたところにない?トイレに近い?とか。


次男は新しい場所に行くと、必ずウロウロ探検します。
何がどこにあるか、見たかっただけ、知りたかっただけだったようです。
ここから離れないで、じっとしてて、は大人の都合。
子供のウロウロに付き合ってみると、いろんな発見があって楽しかったです。



そして入学式を迎えると、特別支援学級の先生は異動になってました。泣。
・・・そんなもんですよね。

くもん行くもん

長男2年生の時、先輩保護者に読み書きできないと相談したら、「うちはくもんに行ってるよ」ということで教えてもらった近所の教室に行ってみました。

先輩の前例があるので障害児の受け入れはOKだったので、早速通ってみることに。

もちろんひらがなの読み書きもできません。


年齢に関係なくできるところからスタート、ちょうどのところを学習できます、のくもん。


その「ちょうどのところ」は2、3歳時と同じクラスに。小さき人の中にひときわ大きい小2の障害児。

どう動くかわからなかったので、

背後にはずっと付き添いう母もいて、まわりから見れば圧迫感あったと思います。

まだ鉛筆を持つ前段階。

歌やカードで楽しい雰囲気の中、長男は訳がわからず座っているだけ。

そしてその場に一番馴染めなく居たたまれなかったのは、母親である私。

一ヶ月で早々にやめてしまいました。



次の転機は、

長男が特別支援学校4年生、次男は3年生、三男1年生のそれぞれ特別支援学級在籍の時。


特別支援学校では教科教育はほぼなく、そのままでは読み書きに不安はありました。


特別支援学校のママ友から週に1回1時間、親子だけで教室を開いてもらってるとのこと。

三人一緒に土曜日に時間をとってもらえることになりました。


長机に三人横並び、向かいに先生と私が座り、国語と算数を習い始めました。

先生もいっぺんに障害児を持つのは始めてのことなので、先生に預けるではなく、学校や家での様子を聞いてもらうのも楽しくて私も一緒にいました。


学習以外何もない特別な空間、目の前にはA5の小さな教材。

今日は何枚、と終わりを確認してから取り組むのはみんな同じ。


早く終わるとジグソーパズルやタングラム、数字の磁石など、くもん教材で遊べました。

みっちり一時間。

その場にいる、座って取り組む習慣がついたのはとてもよかったです。



次にくもんの宿題、家庭学習を定着させるのに長机をDIYで作り、教室と似たような環境にしてみました。


横並びに三人。

向かいに私が座り子供は宿題、私は家計簿や日記などなにかしら書き物をしていました。

30分くらいでしょうか。


今は買い物やいろんな表示、メニューなど、日常生活に困らないくらい(←これ大事)の理解力があります。


言葉で思いが伝えられる、字が読める、書ける、お金が使える、などなど、

今、子供たちの心や行動を自由にしているのは、学習が身に付いたからこそのような気がします。


環境を整えて、人に頼れるところはお願いする。

その支援をするのが親の役目。


最初は高いな~と躊躇したけれど、ここは子供へ投資。

今の成長を思えば、

『やっててよかったくもん式』でした。


それぞれ中学終わりまで通いました。

長男が中学卒業は、もう土曜日の個別授業でなく、普通の時間帯に自転車で通って、みんなと一緒に受けられるまで成長しました。


ただ、すべての教室が障害児対応ではないようです。


あの時、紹介してくれたママ友に感謝です。


特別支援学校保護者会

入学式に参加していなかったので、
子どもたちも、保護者も初めまして。


普通幼稚園から来ているのはうちの子だけ。
ま、子供にとっては全く関係ないことなんですけど。


母子分離ができている子、母にひっついて離れない子、いろいろです。


うちは分離。
あんなに泣き顔が多かった幼稚園生活とは違って、何が良かったのか、イキイキとしています。
1年生の時に褒められたのは、落ち葉掃き。
「上手にほうきを使って、ちりとりに入れられるんですよ。いやぁ上手いもんです。」
と当時の教頭先生がえらく褒めてくれました。それ以降、その先生とは何度も出会うことになるんだけど、毎回その話をされてました。



特別支援教育の幼稚園はあちこちにあったようで、15人の保護者は顔見知りが多く、すでにグループができていました。


保護者会では名前もわからない、親子のマッチングもぜんぜんできないし、話しかけることもかけらることもなかったのです。
ここでも孤独。


保護者会が終わって、ぞろぞろとランチに行っているのを見送りながら、
いつかあの仲間に入ることはできるのかな?とちょっと羨ましかったです。


転機は二度目の保護者会。
とびきり元気なママさんがランチに誘ってくれて、めちゃめちゃ嬉しかったのを覚えています。
あのとき誘ってくれてありがとう!
入学式には夫と姑が参加だったので、シンパパの子と思われていたし、私をあの人だれ?って、声かけにくかったみたい。


みんな歴史があって、
生まれつき、体幹が弱い、こだわりが強い、
インフルエンザ脳症で後天的な子、そしてみんな知的障害もある。


自分自身で受け入れることも難儀なのに、
家族や親戚、周囲の人の理解の差。
たくさん泣いて、
子供を守りつつ、みんないろいろなことと闘ってきたと思います。


同士がいる。
こんな嬉しいことはなかったです。
長男が特別支援学校に入って、一番助けられたのは私。


その後も、ランチ会の度にお互いの理解を深められ、
なにより、お互いの子どもたちの昨日よりも今日の成長を喜べる、
理解あるママ友は心の支えとなりました。


彼女の求心力のおかげでとても仲良くなったこの学年。
今でも集まれる大事な仲間です。
ありがとね!