ラボラボ 発達障害子育ち20年の記録

過ぎてしまえば全てネタ。楽しくラクに暮らすための試行錯誤継続中。三兄弟はそれぞれ特別支援教育を経て元気に毎日働いています。

くもん行くもん

長男2年生の時、先輩保護者に読み書きできないと相談したら、「うちはくもんに行ってるよ」ということで教えてもらった近所の教室に行ってみました。

先輩の前例があるので障害児の受け入れはOKだったので、早速通ってみることに。

もちろんひらがなの読み書きもできません。


年齢に関係なくできるところからスタート、ちょうどのところを学習できます、のくもん。


その「ちょうどのところ」は2、3歳時と同じクラスに。小さき人の中にひときわ大きい小2の障害児。

どう動くかわからなかったので、

背後にはずっと付き添いう母もいて、まわりから見れば圧迫感あったと思います。

まだ鉛筆を持つ前段階。

歌やカードで楽しい雰囲気の中、長男は訳がわからず座っているだけ。

そしてその場に一番馴染めなく居たたまれなかったのは、母親である私。

一ヶ月で早々にやめてしまいました。



次の転機は、

長男が特別支援学校4年生、次男は3年生、三男1年生のそれぞれ特別支援学級在籍の時。


特別支援学校では教科教育はほぼなく、そのままでは読み書きに不安はありました。


特別支援学校のママ友から週に1回1時間、親子だけで教室を開いてもらってるとのこと。

三人一緒に土曜日に時間をとってもらえることになりました。


長机に三人横並び、向かいに先生と私が座り、国語と算数を習い始めました。

先生もいっぺんに障害児を持つのは始めてのことなので、先生に預けるではなく、学校や家での様子を聞いてもらうのも楽しくて私も一緒にいました。


学習以外何もない特別な空間、目の前にはA5の小さな教材。

今日は何枚、と終わりを確認してから取り組むのはみんな同じ。


早く終わるとジグソーパズルやタングラム、数字の磁石など、くもん教材で遊べました。

みっちり一時間。

その場にいる、座って取り組む習慣がついたのはとてもよかったです。



次にくもんの宿題、家庭学習を定着させるのに長机をDIYで作り、教室と似たような環境にしてみました。


横並びに三人。

向かいに私が座り子供は宿題、私は家計簿や日記などなにかしら書き物をしていました。

30分くらいでしょうか。


今は買い物やいろんな表示、メニューなど、日常生活に困らないくらい(←これ大事)の理解力があります。


言葉で思いが伝えられる、字が読める、書ける、お金が使える、などなど、

今、子供たちの心や行動を自由にしているのは、学習が身に付いたからこそのような気がします。


環境を整えて、人に頼れるところはお願いする。

その支援をするのが親の役目。


最初は高いな~と躊躇したけれど、ここは子供へ投資。

今の成長を思えば、

『やっててよかったくもん式』でした。


それぞれ中学終わりまで通いました。

長男が中学卒業は、もう土曜日の個別授業でなく、普通の時間帯に自転車で通って、みんなと一緒に受けられるまで成長しました。


ただ、すべての教室が障害児対応ではないようです。


あの時、紹介してくれたママ友に感謝です。