ラボラボ 発達障害子育ち20年の記録

過ぎてしまえば全てネタ。楽しくラクに暮らすための試行錯誤継続中。三兄弟はそれぞれ特別支援教育を経て元気に毎日働いています。

噛みぐせ

長男2歳の時の話。前後して読みにくいけどご容赦を。


一歳半しか離れていないので、もう次男がいました。

お兄ちゃんだから、とは言ったことなかったけど、

やはり乳児と比べれば、我慢させてたかも。


意志が通らなかったら、思いっきり私の腕を噛むようになりました。

それも手加減なんてないから、力一杯。


腕は青アザ黒アザ黄アザと、まあ見事なグラデーション。


そのうち2語文ですが、

意思を伝える、

思いが通るようになると、

少しずつ噛みぐせは減ってきました。


それでも、叶わないときはやっぱり噛みます。



3歳頃になると、力もどんどん強くなってきて、

本当に痛くて痛くて、泣きました。



そしたら、ハッとして、

「ごめんねごめんね」と言うのです。


夢中で気がつかなかったのか、ハッと我に返った様子。

噛みたい時はそれだけに集中していて

どんなに「やめて!」と言っても、何も聞こえてないみたいで、力一杯噛むまでやめませんでした。



だから、

大人だって痛いんだよ!

誰だって噛まれたら痛いんだよ!って、ことだけでも伝えないと。


ということで、

今でもたまに噛まれることがあって、

大げさに泣く、は有効です。

(女の子のイラストしかなかったわ)

親は友達の役目もしないとね

幼稚園の時、

先輩ママ友のお友達とその娘さんを紹介してもらいました。

支援学校中学部くらいの娘さん。



「どこにいくにも連れていかないといけないしね、

勝手に遊びに行くこともないから、

ずっと友達の役目もしないと」って。



そうなの。今ならよくわかる。

子どもたち三人とも、

コミュニケーション力ってのがなくて、友達付き合いができない。

ひとりが楽みたい。


LINEの交換しようと言われてても、しなかったので、

誘われることもない。


友達がいるといいなぁと思ったりしたけど、

付き合いがなければ、トラブルもない。


親が選んだサークルが唯一の仲間。

そんな感じの にわか活動でもひとつでもあると、親が満足しているだけかも。


本当の気持ちはいつまでたってもわからないけど、

ひとりででも楽しめるなにかを見つけられたら、

これはこれでいいのかなと思ったり、


どこかと、誰かと繋がっていてねと願ったり。


母の心はいつまでたっても、忙しい。


今は放課後デイサービスがあるのでね。

丸投げではなく、ちゃんと目が届く距離感で、

上手に利用できたらいいですね。















てんかん発作が起きたときは

長男24歳は、てんかん持ちです。


かかりつけ医が閉院することになり、今日紹介状を持って、新しい病院に行ってきました。
良き先生、看護師さんで安心しました。これからお世話になります。
診察室の椅子がくるくる椅子だったので、くるくる回っていました。もういい大人なのにな。落ち着きがなく母にちょっかいを出す、もちろん話は聞けない、
薬は大事と思っているので、「お薬ください!」とだけ言っていました。


ドラマ「リエゾン」の椅子もくるくる椅子だったので、あんなに落ち着いてすわらないよな〜と思ったり。


幼い頃に一度だけ発熱てんかんがありましたが、特に治療はなく経過観察だけでした。


特別支援学校の子どもたち何人かは発作を起こす子がいたり、
思春期の時期になると、今までなかったのに発作を起こす子が増えると先輩保護者に聞いていました。


長男は14歳の時。
予兆はなく、いきなり硬直してバタンと倒れる発作が起こりました。


少しの時間、力いっぱい硬直して、棒ように直立のまま倒れて、爆睡。というパターン。
へにゃへにゃと脱力型だと怪我も少ないんだろうけど、
本当に急に起きたので支えることもできず、机に強打。顔面に青あざができてしまいました。



かかりつけ医に行き、紹介状を持って、
総合病院小児科がかかりつけ医となり、投薬が始まりました。


2〜3種類の錠剤が処方されました。
薬入れに、毎回飲む分の見本を貼り、
冷蔵庫には次に飲む分をマグネットクリップに挟んで貼り付けておきました。
よほどしんどかったのか、薬の管理はすぐに自分でできるようになりました。


それでも、薬を飲んだからすぐに収まるものでもなく、効く薬に出会うまで、数年かかりました。
処方してもらって、飲み続け、血中濃度を調べ、結果が出るのに半年はかかります。
1種類ではないので、組み合わせも色々と。


その間、合っていなければまたてんかん発作を起こします。
いつも学校で起こすので、どんな状況になるのかわからなく、
発作が起こると連絡があり、迎えに行くとぐったりして保健室で寝ていることが続きました。


薬が合って、落ち着いてきたのは高等部後半から。
高等部は通学バスが利用できなくなり、路線バスで通学しなければならないこと、
街中をひとりで歩かすのは不安があるとこぼしていたら、
「外だと誰かが救急車呼んでくれるから、大丈夫よ」と医師に言われたので、それもそうかと。
高等部卒業後はいつまでも小児科にかかっているわけには行かず、紹介状を持って脳神経クリニックに転院。
今回はその後の病院となります。


家で発作が起きたときは、本当に怖かったです。
これまでの子に戻るのか、
苦しそうな顔のままになるのか、
毎回、生きた心地がしませんでした。


コロナ禍で薬の管理をきちんとできていなかったときに、強めの発作がでました。


舌を噛んだまま硬直してしまって、流血している。
スプーンを挟み込もうと、三男に「スプーン持ってきて!」と頼むと、
こともあろうかグレープフルーツ用のギザギザスプーンを持ってくる。
これじゃなーい!とぶんなげてしまいました。


発作が起きたときは、長くても2分くらい。
安全を確保して、

嘔吐物があるとのとが詰まるので横にして、

見守ることしかできないんですよね。


新しい環境の病院で、脳波の検査がうまくいきますように。

この子の理解者が一人でも増えますように、と願いつつ…。