ラボラボ 発達障害子育ち20年の記録

過ぎてしまえば全てネタ。楽しくラクに暮らすための試行錯誤継続中。三兄弟はそれぞれ特別支援教育を経て元気に毎日働いています。

発達障害児がいる家探し

福岡入りするにあたり、家探しの条件は、


騒音防止のために、

マンションの1階か、

階下が店舗か駐車場などの2階を探しました。


このときすでに脱走のおそれを考慮しなくてはならなかったので、一軒家は窓の多さで却下。


福岡なので住所に博多をつけたかったけど、

街中の博多区役所に子連れで行く勇気がなかったので、それ以外で。

区役所や保健所のアクセスも考慮しました。


条件にあったのは、

マンション1階、端だけど窓は南北のみ、広い庭、高い生け垣。

隣との柵が低いのが気になったけど、

その他はぴったり。


すでに3人目がお腹にいました。


この時でもまだ長男の障害がわかって無く、

「多動性」だし、男の子ばかりだからたいへんね~と言われてても、こんなものかなと思っていました。


多動性って、なに?

2000年。

長男2才。田んぼや池に入らずにはいられない、着替えは必需品。買い物に連れていけばすぐにいなくなる、迷子になっても泣かないのでなかなか見つからない。

毎日公園に行かないと気が済まない。そんな生活。


次男0才を背負って、三人乗りの自転車で、大分市の公民館の未就園児子育てサークルに行き始めました。


しかし、中にも入れずいつも外で上手に木登りをしていた長男。不思議とケガはしなかったのです。

窓から見える範囲だったから、目で追いかけるくらいで間に合ってました。


お土地柄、実家が農家という人が多くて、そして食材が豊富。自然にまみれて遊べたのが新鮮で、芋掘りさせてもらったり、ブロッコリーを頂いたり。

子供はほかの子たちとは馴染めなかったけど、母は楽しいひとときでした。


クリスマスにはケーキ作り。

いちごもたっぷり用意してあったのに、ボウル山盛りのいちごが見るたび減っている?

いつの間にか長男がテーブルの下にもぐりこみ、

せっせと食べているではありませんか!


主宰の方がゲラゲラわらって、

「見たら食べたいもんね〜」とおおらかに許してくれて助かりました。


集団行動ができない、

田んぼに浸かる、

高いところに登るなど、

危険な行動が多いことから、

気にかけてくれてて、


「長男くん、多動症じゃない?」って。


その時はもう福岡に転勤が決まっていて、

大分をあとにする時期だったので、

多動性って何ですか?と聞くこともできず引っ越ししてしまいました。


幼稚園の先生をしている いとこに聞くと、障害の部類になるとか。


知らなかった…


多動症って、

飽き性とか のんきとかの性格と思っていた、無知な私。

なつかしいスケジュール帳は頑張った記録

片付けで出てきたのは、

子育て中に使っていたスケジュール帳。


2007年から、

子供たちがそれぞれ

特別支援学校小学部2年、

特別支援学級小学1年、

幼稚園年中で、

みんなお迎えが必要だったので、

下校時間の記入は必須となり、

そのためのスケジュール帳で、同じものが8冊。

それもエフコープの配達で買えるたもの。

買い物なんて行けなかったもん。



今のように放課後デイサービスもなく、

スクールバスまでや支援級までのお迎えと、

もちろん朝の送り届けもあり、

目まぐるしく一日が過ぎてました。


この時から同居を始めた姑さんに、

次男の支援級の送迎を頼み、

ずいぶん助けられたことを思い出しました。

アリガトウコザイマシタ。



子供たちの将来はどうなっていくのか、

何が必要で、

何ができるのか。


不安なのは知らないから。

無知は罪』子供の代わりに親が知っとかないと。

と、先輩保護者が言っていたのが刺さりました。


学ばなきゃ!

特別支援学校は小学部から高等部まであったので、

進路学習会が充実。

講習のメモを取るのもこのスケジュール帳。


字が下手すぎて読めないところや、

全く覚えてない内容もあるけど、

メモを頼りに、

学んだことをアウトプットしてみようと思います。