ラボラボ 発達障害子育ち20年の記録

過ぎてしまえば全てネタ。楽しくラクに暮らすための試行錯誤継続中。三兄弟はそれぞれ特別支援教育を経て元気に毎日働いています。

愛に溢れた先生方のおかげの幼稚園生活

川で溺れて、

発達障害が発覚して、

始まった幼稚園生活。


すぐに加配の先生をつけてくださったこともあり、

あの子は何か違う、とまわりに気づかれた様子でした。


顔見知りのママさんに声をかけてみたら、

無視されてしまったので、

公園とは違ってそんな風になるんだと

ちょっとした洗礼でした。


それ以来、

こちらからママさんたちに話しかける勇気はみごとに打ち砕かれてしまいました。



長男はクラスに入ることもできなくて、先生と職員室で、過ごすことが多かったようです。


コミュニケーション不足のため、

うちでも兄弟ケンカの仕方もわからなかった子供たち。

友達に近づくことが少なかったので、ケンカトラブルの報告はありませんでした。


ある日は、滑り台で勝手にケガをして額を切ってしまった時は、連絡があったものの、

園内で怪我をさせたお詫びと、

『お母さんは大変だろうから、私が病院に連れていきますね。』と園長先生。


きれいに縫われて、帰ってきました。

次回は保険証を持って母が連れていくと、甘えからか暴れる暴れる。


なにしに来たんだ!イヤなら帰れっ!

とお医者に怒鳴られたことを話すと、


慣れるまで園長先生が連れて行ってくれました。

『おとなしくありがとうございました、みたいなことをゴニョゴニョ言ってましたよ』とのこと。


もう頭が上がりません。


また、20年ぶりに当時の担任の先生と雑貨屋さんでバッタリ。

障害児教育を学ばれてた理解者のおひとりだったのでうれしくって。


『今みんなどうしてます?』

『障害者施設で働いてるんですよ。

家事もよくやってくれて助かってます』

などと、今をいっぱい聞いてもらって、

立ち話すること2時間。


先生からは当時のエピソードもいろいろ。

『職員室でぐるぐる走り回ってて、可愛かった~』

『えっ?職員室で走り回ってたんですか?』

『はい、机の上を、ね』

『へっ?すみませんっっ!』

と、今さら聞いて謝っても時すでに遅すぎ。


こんなことも笑って見守ってくれていたのかと、

改めて感謝でした。



愛に溢れた園長先生の方針で、

先生みんながやさしい対応だったのたと思います。


もしかしたら知らないだけで、

たくさんのご迷惑をおかけしたことがあっただろうに、

母への報告は最小限。


恐縮することも、謝る機会も少なく、

ただただ、先生方に感謝の園生活でした。