ラボラボ 発達障害子育ち20年の記録

過ぎてしまえば全てネタ。楽しくラクに暮らすための試行錯誤継続中。三兄弟はそれぞれ特別支援教育を経て元気に毎日働いています。

障がい支援センターで初診断

大学病院先生のご指示通り、障害支援センターに三人連れて行ってみました。


(幼稚園見学の時にどっか相談に行かれたらどうですか?は、ここだったのね。たどり着くまでに2年も時間を要してしまいました。)


小児科医に診てもらい『広汎性発達障害』診断名がつきました。

この診断名はその後なくなり、現在は『自閉症』と診断書に書かれます。

発達検査したかなぁ。それも覚えていません。


それと、『次男君も気になるけど、様子見しましょう』


長男はわかっていたけど、次男も?ショックで、受け入れることができない、

夫にも言ったと思うけど、どんな反応だったかも今となっては忘れました。

将来を思うと涙がとめどなく出てくるし、眠れない夜が続きました。



とりあえず、目の前のやるべきことから始めることに。

まずは月一回の療育に通うことになりました。


子ども同士の活動と私は支援センターの先生と面談。

久しぶりの親子分離で、これだけでもずいぶんリフレッシュできました。

ま、下二人は手元にいたと思います。


子育てはこれでいいのか、不安はつのる、いろんな話を聞いてもらって、


『お母さん頑張ってるよ。それでいいのよ、合ってるよ、大丈夫よ』とたくさん励ましてもらえました。


療育を受けてもめざましい変化はないのです。

『ここに来ることで子供の障害は治るんですか?』とつめよったこともありました…。


それでも先生方は優しかったです。

治るものではない、寄り添うものだと理解するのには、数年かかりました。


ご縁があってあの時支えてくれた療育センターの先生方に今でも違った形でお世話になっています。


ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。